深層心理学

自立と依存について:自立は何度も繰り返される

2021年1月9日

自立と依存

 

こんにちは。ふうたです。

今回の記事は、次のような人に向けて書いています。

この記事を読んで欲しい人

「自立」や「依存」について考えている人

 

 

この記事を書いた人

もんち

ふうた ”ふうたろぐ”管理人
心理支援職17年/社団法人運営
嫁さんと猫とスローライフ暮らし

 

私は、心理支援の現場で長らく働いてきました。

不登校の子どもたちをはじめ、精神就労支援施設なども経験してきました。

その中で、「自立」と「依存」ということが大きな問題になっていました。

 

「自立」と「依存」いうことには、「母なるもの」がかならず介在します。

次の2パターンが、もっとも身近に捉えられる「母なるもの」との関係性ではないでしょうか。

  1. 実際の母親への依存と自立
  2. 母体となる場所(学校、仕事場、集団)への依存と自立

そこで、「自立」と「依存」ということについて、少し書いてみたいと思います。

 

 

「自立」=”まったっく依存しない”ということではない

実は、「自立」は"まったく依存しない"ということでは成せない、ということです。

必要なときに、どの程度「依存」できているかということが、「自立」のポイントになります。

ポイント

自立≠全く依存しない

私たちは、若いとき、「自立」しようとして、依存心を断ち切ろうとしすぎるところがあります。

それは、ひとつ間違えれば「自立」ではなく「孤立」になります。

 

では、「自立」とは、どういったイメージなのでしょうか。

 

「自立」と「依存」を、どんなイメージで捉えればよいか

木

例えば、私たちと同じ自然の生命である、「1本の樹木」を考えたとき、1本の木の「自立」はどのようになされているでしょうか。

 

母なる大地にしっかりと足をつけて、根を張り巡らせ、養分を吸い上げる幹や根があってこそ、自分の足で立つことが可能になります。

また外なる環境とも関わりをもち、それらを取り入れながら、自分を頑なにしたり変化したり、生産的な活動の中で自立してゆきます。

 

「自立」とは、あくまで「全体」と関わりのある自然の姿であるべきです。

本来、「依存」せずに「自立」すできる、という考え方自体を、見直してゆく必要があります。

 

独自の樹木となって台風にも負けないような樹木であるには、その生命が、全体と関わりがなければなりません

「自己」を立たせることができる「自立」ということは、母なるものへの「依存」と、切っては切れない関係にあります

 

では、「依存」しすぎている状態とは、どのような状態をいうのでしょうか。

 

「依存」は自分の生ではなく、”母の生”を生きている状態

芽

 

強い「依存」状態とは、「自分の生」を生きていない状態を指します。

「自分の生」を生きていないということは、「母の生」を自分の生のごとく生きていることになります。

 

これは、樹木でいえば、樹木になるずっと前にあった「新芽」の状態にあたります。

このしなやかで弱い「新芽」の状態は、母なるものに全権が委ねられている状態にあります。

これは、自我が発達していない幼児期状態の私たちになぞらえられます

自分の生を決定づけるだけの強さや質が伴っていない状態にあるからです。

母なるものと臍の緒でつながり、そこからやってくる養分が新芽を左右し、新芽に働きかけるものたちが新芽の生をまるごと決定してゆくところがあります。

 

これは、心理学でいうところの「無意識の働きにのまれている状態」を指します。

 

「母なるもの」は「無意識」を象徴し、「自立」は「自我意識」の確立をさす

 

「母なるもの」は、始源性をもっているため、その宇宙子宮のような性質からも、「無意識側」のものとされます。

「母なる原子宮から、世界は生まれた」と考えるからです。

その「母なるもの」のもつ創造性やカオスは、生命の泉とも呼ばれ、水や海、大地、深淵なもの、無意識などとして本質的に表現されます。

それらに依存してこそ生命を豊かに育む養分をもらいながら、「自立」することになります。

 

「自立」することのに必要なものは、そのような圧倒的な「無意識」に対立できる「意識」の発達であり、それを統制する「自我」の発達ということができます。

 

この「無意識」と「意識」の関係性は、私たちの内に働く光と闇の呼吸のようなところがあり、

切っても切れない関係となって、互いが互いの存在を補償しているようなところがあります。

つまり、「母なるもの」への「依存」と「自立」は、私たちの内に働く精神の呼吸でもあり、切っても切れない関係にあるということになります。

 

私たちは生命の根とも呼ばれる「母なるもの」と、現実的にも宇宙的にもつながりをもちながら、適度な「自立」を、「依存」の中で何度も繰り返ししてゆき、ユニークな人生を手にすることになります。

 

 

日本人特有の母性文化

また、日本人は、とりたてて母性に対する依存が強い国民性があります。

こういった国民性は、私たちの無意識に根付いているものです。

 

天照大神が女神であり、母なる大地、そして八百万の神としてあらゆる自然に神が宿る精神、このような日本を象徴する1つ1つが、母性とともに文化を築きあげてきた日本人の背景を物語ります。

 

私たちがもし完全に母性から自立することがあるとすれば、私たちは日本のカルチャーの中で生きていくことすらできません。

 

 

適度な「自立」を促すものは、母なるものの二面性

では、適度な「自立」、適度な「依存」というものがどのようになされるかという問題がありますが、

「母なるもの」が、その特性を豊かに発揮することが、当事者の「自立」に重要だと感じます。

 

「母なるもの」には次のような二面性があります。

「母なるもの」のもつ二面性

  • マリアさまのように全てを愛し、慈しんでくれる優しく温かい側面
  • 太母のように、すべてを呑み込み、死にいたらしめてしまう恐ろしい側面

 

 

この相反するような母なるものの二面性により、私たちは「自立」と「依存」ということに向かっていくことになります。

例えば、母が全てを抱きしめてくれるような愛を受けるとき、私たちはそこに「依存」し、楽園を経験します。

かたや、母に飲み込まれようとするとき、私たちは自分を失わないように太母の元から「自立」しようとします。

 

このような2つの力が、母なるものの呼吸のように生き生きと子なるものに対して、働いているかどうかを、母側が考えてみる必要があります。

また、これとともに父性がもつ、約束や秩序を絶対とする特性が、どのように高い精神性として関わりをもち、断ち切って進もうとする力になるかというところも、影響が生まれます。

 

 

まとめ

・「自立」は、「依存」しなければよいわけではない

・「自立」は、適度な「依存」の中で、繰り返し行われる。

・「自立」と、適度な「依存」が行われるには、「母なるもの」の二面性について、考えてみる

 

以上が、「自立」と「依存」についての考察です。

また、母性の力については、別記事でも詳しく書こうと思います。

 

 

 

 

 

 

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